『言論抑圧 矢内原事件の構図』(将基面貴巳著、中公新書)を読む。
東京帝国大学教授の矢内原忠雄が著した論文『国家の理想』が引き金となった退職は、言論の自由の抑圧の史実とされていますが、当時の状況に即したとき、実際にどのうような事件だったのかを、著者のいう”マイクロヒストリー”によりあぶりだした書です。過去は二度と繰り返されませんが、「過去から何かを学ぶことが可能であるとすれば、そのひとつの方法は、過去のある時点という状況において、現代においても問題たりうる論点がどのように論じられ、どのような解決が試みられたかを学ぶことではないだろうか」と著者は冒頭で問題提起します。そしてこの問題提起は今最も必要な問いであるように思います。この事件を巡って愛国心の問題と学問と大学の自治の問題が取り扱われます。当時矢内原と対立していた国家主義のイデオローグの蓑田胸喜の、それぞれの「愛国」を対比させ、正義の下での国家と、国家の下での正義が論じられます。そうした思想的対立を巡る史実もさることながら、面白かったのは、大学の自由が国家により脅かされるようになったとき、それに対峙する総長という立場の人となりに依存したシステムの脆弱性が事態の進行に重要な要因となったことや、言論の抑圧が積極的な排撃というより、言論する「場」をなくしていくという目立たないけれど確実に退場させていくやりかたで進行していったということです。「言論界の大局的な動向を見定めるうえで重要な姿勢とは、どのような言論人が何を言っているか、を常に満遍なく押さえることではないだろう。むしろ重要なのは、どのような言論人がが表舞台から消えていったか、どのような見解をメディアで目にすることがなくなったかについて、把握すること」であると最終章で著者は論じています。
本書で初めて知りましたが、出版元の中央公論新社は矢内原氏と浅からぬ縁があったのですね。新書ながら密度の高い中公新書らしさがよく出ている一冊でした。

言論抑圧 - 矢内原事件の構図 (中公新書)

言論抑圧 - 矢内原事件の構図 (中公新書)