『暴力の人類史』上・下(スティーブン・ピンカー著、青土社を読む。
上巻580ページ、下巻652ページという大部な書籍で、邦題のとおり太古から現代までの暴力についての歴史を取り扱った本ですが、原題は『The better angles of our nature』とあるように、暴力という悲しむべき悪が一貫して減少してきていることを膨大なデータから示し、私たちが理性を正しく使用することでさらに希望が持てることを論じています。一般的に楽観論よりも悲観論を述べる方がこうした類の本の場合、もてはやされることが多いようですが、本書は違います。優れている点は、まず暴力が実際に減っているということを歴史的なデータを駆使して示していることです。第2章から第7章までは実にこの論証に費やされており、本論は実はここから始まります。そして次に暴力が環境と遺伝の両者が関与していることを冷静に論じており、バランスがとれており、著者お得意の進化心理学の考察が水際だっています。人間の<悪魔>としての側面には、捕食、ドミナンス、報復、サディズムイデオロギーがあり、一方<天使>としての側面には、共感、自制、道徳感情、理性があるといいます。悪の中でもイデオロギーは時に破壊的な災禍をもたらしうること、善の中では最近もてはやされている共感については限界があり、普遍化するためには理性がやはり優位にたたなければならないと論じられているのが印象的でした。また暴力が減少してきた機序については、ゲーム理論囚人のジレンマを示しながら、リバイアサン、穏やかな通商、女性化、輪の拡大、理性のエスカレーターの要因に分けて論じています。「感傷的でない歴史と統計リテラシー」に基づき、理性と啓蒙主義が暴力の減少にはもっとも大きく貢献したのだということが主張されています。暴力という人間性の歴史を論じるにあたり進化心理学という武器が遺憾なく発揮されている点が、他に類を見ない点で貴重であり有益です。今後暴力以外の人間性の歴史を論じる場合においても、こうした進化心理学的考察が欠かせなくなるだろうと思われました。間違いなく今年のマイベストブックの一冊です。

暴力の人類史 上

暴力の人類史 上

暴力の人類史 下

暴力の人類史 下