『怨霊とは何か』(山田雄司著、中公新書)を読む。
日本古来からある怨霊というものの歴史的変遷を三大怨霊(菅原道真平将門崇徳院)を中心に辿っていく本です。最初に霊魂がどのようなものかについて概説されます。人の魂は身体から遊離可能なものであり、死に際して身体から出て行くものであると同時に、魂を呼び寄せて肉体に戻すことも可能であった考えられていたこと、遊離した魂は天上や山、海、樹木などさまざまなところを居所としたことが説明されます。続いて怨霊と日本史の関わりになるのですが、古代・中世においては怨霊対処が国家的な課題であったことが説明されます。どこからともなく現れて厄災をもたらすゴジラに国を挙げて対策をとっているようなイメージでしょうか。この対策が仏教主導で行われたのは、仏教が死後の世界の体系を持っていた、すなわち成仏の方法論をもっていたからだそうです。第三章から五章まではいわゆる日本三大怨霊の厄災から鎮魂までがさまざまなエピソードを交えて紹介されます。どの怨霊に対しても敵として殲滅するのではなく、慰撫する方法で対処されたというのが日本独特なのか興味深いところです。どの怨霊も時代背景の動きがその強さと関係しているようですが、特に崇徳院武家社会の成立と連動していたことから、その影響が大政奉還後の明治まで及んだようです。最終章では、全体を通して怨霊観が戦国時代を境にして大きく転換し、少なくとも国家が神をなだめることはしなくなったこと、逆に傑出した人が神として祀られるようになってきたことを指摘しています。これを通して人と神の区別が曖昧であること、死すれば官軍でも逆賊でも等しく祀られ救済の対象となることが日本人の中にあることが分かります。こうした日本独自の文化が争いを宥和させる面をもっている反面、靖国問題等諸外国には理解されにくい軋轢を生んでいることもまた事実でしょう。
怨霊を通じて日本の心性を考えさせる良書だと思いました。