『あなたのなかの宇宙』(ニール・シュービン著、早川書房)を読む。
前著『ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト』がなかなか面白かったので、購読しました。前著ではわたしたちのボディプランに色濃く進化の刻印が残っていることを魚類の生体システムと比較することでみごとに披露してくれましたが、今回は古生物学者としての視点からわたしたち生物と地球の進化の関係をみていきます。地球の誕生から生まれてきた元素の話から始まり、現在まで地球という惑星が生命を育むのにどれだけ幸運に恵まれているかが描かれたあと、遺伝子の中に刻まれている時間と地球の自転による日周期で駆動する体内時計、酸素の出現による生命体の変化と続きます。超大陸に地溝が生じた結果大気中の酸素が増加して、私たちの祖先が登場する機会ができたということは初めて知りました。後半では生物の大量絶滅、大陸移動と過去の極地の状態、氷河期の話が取り上げられます。科学的知見をわかりやすく語る著者の手腕もさることながら、随所に織り込まれている発見者たちのエピソードが面白く紹介されています(変光星を発見したヘンリエッタ・リーヴィット、ショウジョウバエで行動遺伝学を研究したシーモア・ベンザー、大陸移動説を巡るモーリス・ユーイングと、ブルース・ヘーゼンとマリー・サーブとの確執、氷河期の原因を探究したジェームズ・クロール、ミルティン・ミランコビッチの理論など)。最後に進化の過程で地球上に出現した人間が地球環境から自分たちを隔離する技術を持つようになったが、それでも自然淘汰は働くこと、同時に私たちが生み出した発明が私たち自身と地球、その両社の相互作用を形作る時代をもたらすようになったことを畏敬と驚嘆の念をもって締めくくっています。

あなたのなかの宇宙:生物の体に記された宇宙全史

あなたのなかの宇宙:生物の体に記された宇宙全史

『野蛮な進化心理学』(ダグラス・ケンリック著、白揚社)を読む。
原題は、『セックス、殺人と人生の意味 』となっており、進化から見た人間の無意識に作動している認知への影響を”赤裸々に”語りましょうという主旨の本です。殺人については第3章で取り上げられ、私たちはごく日常的に殺人願望を抱いており、それには性差が認められること、そしてその性差の適応的な意味をそれぞれの繁殖戦略によるものと解釈しています。昔から殺人の方法にも男女差があるといわれていますが、女性は間接的な攻撃をすることが多いようです(陰湿だということでしょう)。しかし女性も直接的な攻撃にでることがあり、それは経済上の脅威だそうです。第4章では、なぜ私たちは偏見を持ってしまうかという問題に対して、他集団のメンバーより自分の集団のメンバーの識別により長けている傾向(外集団均質化)があるが、生存や繁殖が脅かされるような環境では外集団の個体をよりよく識別するようになるということを示し、環境によってはよりステレオタイプな応答を他者に示すことがあると説明しています。こうした応答の素地は遺伝的なものですが、発現においては環境の要因も大きく関わるというわけで、社会的な偏見にどう対応すべきかということを考える上で大切なことでしょう。著者はこうしたさまざまな知見から人間の心は、白板ではなく、むしろ塗り絵といったほうがよいと述べています。なるほどうまい喩えですね。第6章では人間の心を説明する上でモジュール説が整合的であることを示し、マズローの動機(欲求)のピラミッド(生理的欲求→安全→愛→承認→自己実現へと上る階層)の問題点を指摘(セックス(繁殖)について軽視している点、上位の階層においても下位の生物学的プロセスが密接に結びついていること)し、その改訂版を提案しています。著者によれば自己実現という概念は、さらに他人の面倒をみることへの過程にある、自己中心的な段階にあると主張しています。フロイトが唱えたリビドーとその昇華にも関連していて、面白い指摘です。第8章では、記憶がどのように残るかということについての進化心理学適応的な考察で、怒った顔の男性は記憶に残りやすいという実験結果を示しています。ここでも下位のモジュールが特定の状況では働きやすいのだという仮説を支持すると解釈しています。また男女ともしたことよりも何もしなかったことが後悔としては記憶に残りやすいが、恋愛関係においては、女性は男性に比べてしたことについて後悔する傾向があり、男性は多く、行動を起こさなかったことに対して後悔を抱くことが多いという結果を示していて、面白いところです。第10章では信仰の問題を扱っています。進化心理学的に宗教を解釈する本はいろいろありますが、著者は厳格な一夫一婦制をもつ宗派とリベラルな宗派との差について考察しています。個人のとる性戦略が宗教心の形成に影響しているのではないかという視点はなかなか面白いものがありますが、こういうところはアメリカならではの問題なのでしょう。
全体をとおして、いろいろと実験条件を工夫して導き出される結果をあれこれと解釈するというところに面白さもあり、著者とは違った解釈を考えてみるのも面白いと思います。最後に著者は人生の意味について考察しています。進化心理学が明らかにした血族選択と互恵的利他行動という二つの原理があるが、それで人生が機械的で味気ないものになるわけではなく、自分の愛する人にとって正しいことをするように努めればよいのだと締めくくっています。社会生物学論争を経て一定の知見が確立されてきた後の穏やかな達観という感じがしないでもありません。

野蛮な進化心理学―殺人とセックスが解き明かす人間行動の謎

野蛮な進化心理学―殺人とセックスが解き明かす人間行動の謎