『禁欲のヨーロッパ』(佐藤彰一著、中公新書)を読む。
副題に「修道院の起源」とあるので、キリスト教の話から始まるかと思って開いてみると、第一章は古代ギリシャとローマの養生法と題されていて、禁欲の社会心理的動機がキリスト教的価値からくる宗教的課題とはまた別の問題としてあったという指摘に続いて、養生法や医学論から話が始まります。続いて女性の身体をめぐる当時の(男性からみた)言説がどのようなものであったか、そして女性や子どもがどのように取り扱われたかが詳述されます。身体的外見が当時からかなり(病的なほど)気にされていたことが分かります。さらに当時の婚姻制度にも触れながら、著者は「女性が自由な性行動から疎外されていた条件がキリスト教的禁欲の準備となった」と指摘しています。第四章では古代ローマの性の慣習がキリスト教の浸透によりどのように変化していったかが明らかにされます。初期教父による肉体の身分を超えた普遍的同等性の指摘に基づく説教による「肉体の恥じらい」や「肉体の慎み深さ」という観念の広がり、そして隠棲生活による修行の隆盛へとつながります。実際の修行の苦難も書かれていますが、男性の性欲制御の難しさにちょっとかわいそうな思いがしますね。こうした修道生活の実践においても禁欲の技術はギリシャ医学の流れを受け継ぎながら展開した理論によって支えられていました。これに対して女性は、家長の保護の下で処女性を守るという世俗内禁欲生活を送ることを強いられ、例外的に富裕な女性は慈善活動により修道生活に寄与できたことが書かれています。社会内での禁欲が広がる一方で、女性による夫の禁欲生活の誘導はなかなかうまくいかなかったようです。とまれ、こうして「古代ギリシアの市民の規範として誕生し、ローマ貴族層に受け継がれた理念、すなわち肉体を統御することによって、精神の自由がもたらされるという理念から、肉体を抑圧し、否定することによって魂の自由が得られるとする理念への移行が起こった」ということです。第二部ではこうした修道制がどのように当時のヨーロッパの西方であるガリアへと広まったのかが説明されます。キリスト教以前のガリアでのアニミズム信仰が場所に根ざしたものであったのに対し、キリスト教の場合は人への祈願という概念があり、病の原因が一義的な関心であったというここでの指摘は興味深いものがあります。伝統的な祭祀の場である聖域の放棄がマルティヌスという聖人の活動に多くを負っていたことが、彼のおこなった”奇蹟”を通じて説明されます。またその後各地の要所で修道院というインフラが整備され、司教権力の拡大とともにこの制度が浸透していった経過がわかりますが、それを支えていたのが聖人崇拝という新たな心性が民衆に定着したことが指摘されています。
修道院というシステムを古代から中世にかけての医学身体観の変遷から見るという興味深い本だと感じました。