『哲学入門』(戸田山和久著、ちくま新書)を読む。
題名がたいへん地味で、過去に同名の書籍があるので、ああまた古代ギリシャから始まって・・・と思わずに手に取ってください。哲学の歴史をたどって蘊蓄をたれる入門書とはひと味も二味も違います。唯物論にしっかりと立ち、現代の科学の成果(進化理論も含めて)を取り入れた哲学の入門書です。第一章で「意味」を考察する際に、解釈主義の誘惑に陥ることなく、意味を自然化するにはどうすればよいかを議論し、続く第二章で「機能」を、第三章で「情報」について論じます。解釈者という立場なしでこうした概念をどう位置づけるかという従来の哲学入門にはない視点が新鮮で、自然科学畑、特に生物科学系の人にはたいへん親和性のある哲学入門です。これだと科学哲学の議論かと思いきや、後半では自由と道徳の議論へと展開していき、後半はさらに面白くなっていきます。私はとくに最後の道徳を論じた部分で、自由意志がなくても道徳がなくなることはなく、むしろすっきりとした高次の道徳が構築できるかもという議論はとても感銘を受けました。それが成功するかどうかはともかく冒頭からの議論の積み重ねでここまでの高みに到達するという離れ業をやってのける(しかも新書で)哲学入門は稀です。読み終わってあらためてこれはもっと魅力的な題名をつけなおすべきではないかと、そこだけが不満に感じた『哲学入門』でした。

哲学入門 (ちくま新書)

哲学入門 (ちくま新書)

『脳の中の時間旅行』(クラウディア・ハモンド著、インターシフト)を読む。
かつてアインシュタイン相対性理論の時間の捉え方について聞かれたときに、好きな女性の人と一緒にいる時間は短く、熱いストーブに手をかざしていると時間は長く感じるという譬えで説明したそうですが、客観的に測定される時間とは違いなぜ私たちが感じる時間が一瞬のように感じられたり、永遠のように感じられたりするのかをさまざまな脳科学、心理学の知見をまじえながら説明する本です。私たちの時間感覚が、恐怖や不安などの感情や、年齢、発熱などの体調によって影響されるということを冒頭で示し、私たちの神経系が刻む時間を担当する部位に、小脳や大脳基底核があり、それぞれ違う時間間隔を担当していること、過去や未来を考える際に、前頭葉頭頂葉、内側側頭葉の三つの部位が関わっていることを教えてくれます。興味深いのは、私たちの時間間隔は思っている以上に空間の知覚と密接に関わっていること、話し言葉や文字を読む方向も時間の見方に影響することが報告されていることです。空間的な時間の捉え方は不純だという哲学者もいますが、どうも私たちの時間感覚は空間の知覚と切っても切れない関係があるようです。また過去を記憶するということが、未来を考えるための機能であり、それこそが私たちを人間らしくしているが、その働きが過剰になると私たちの存在を危うくもするという考察も非常に興味深いものでした。時間はただ流れるだけでなく、私たちは目印と記憶という二つで時間を経験しており、来たるべき時間と過ぎ去った時間に対して二つの異なる態度をとっており、新たな経験がこの尺度と姿勢に与える歪みで、時間が早く過ぎたり、ゆっくり過ぎたりするという効果(著者はホリデー・パラドックスと名づけています)が生まれると論じています。巻末にはこうした知見を踏まえて、日常の時間の問題にどう向き合えばよいかもコメントしています。時間とは何かという古くて新しい問いを考える人にも、どうしたた時間ともっとうまく付き合えるかということを考える人にもうってつけの本です。

脳の中の時間旅行 : なぜ時間はワープするのか

脳の中の時間旅行 : なぜ時間はワープするのか