『借りの哲学』(ナタリー・サルトゥー=ラジュ著、太田出版)を読む。
「借り」について考察するというちょっと変わった題名の哲学の本を手にとってみました。もちろん贈与や交換については様々な論考がありますが、著者は貸借によって生じる「負い目」までひろげて「借り」について考察を進めます。「借り」というとネガティブな印象がありますが、本書の著者は、「借り」というものを積極的にとらえ直し、それによる社会関係の再構築を提唱します。確かに近大的個人が自立する過程で、権力関係や経済関係のくびきから自由になるためには、さまざまな「負債」は自由を縛るものとして捨て去る必要があったことを著者は認めつつ、国家を越えた資本主義経済が暴走している現代においては、その危機に対処するために「借り」について見直す必要があると述べます。前半では、贈与についてモースの概念(贈与は返戻を求めるものであるという考え)とデリダの概念(返戻を求めない贈与こそが純粋な贈与であるという考え)を対比させながら、著者は贈与を受けた者がその「借り」を相手にではなく、第三者へ返すようにすればよいと提案します。二者関係から第三者へと贈与の回路を開く著者の提案は斬新ですが、「情けは人のためならず」とか「おかげさまで」という考えに馴染んできた私たちには受け容れやすい提案かもしれません。その第三者への「借り」の返済において必要なのが相手への信頼、もっといえば愛です。相手への愛により「借り」は返済すべき束縛や従属を求めない、「返さなくてもよい借り」になります。後半では罪と償いにおける正義の観点からの考えとは異なる赦しについて、「借り」の文脈から考察します。ここはわが国の戦争犯罪について考えていく上でたいへん示唆的です。最後に現在の資本主義社会において、「借り」を頑なに拒否する人間と「借り」から逃げ続ける人間という二種類の人間について、著者はどちらもまちがったあり方であることを述べています。臓器提供については本書では触れられていませんが、こうした問題にも有益な考えだと感じました。
小著ながら読み応えのある本です。

借りの哲学 (atプラス叢書06)

借りの哲学 (atプラス叢書06)