『記憶のしくみ』(ラリー・R・スクワイア、エリック・R・カンデル著、ブルーバックス)を読む。
記憶は脳のどこでどのような仕組みでつくられるのかを基本的なことから最先端のことまで解説した本です。著者の一人、エリック・R・カンデルは、アメフラシをつかった長期記憶の形成に関する分子生物学的研究で有名な科学者で、2000年のノーベル生理学・医学賞を受賞しています。冒頭で、著者はデカルト心身二元論を否定し、心の全ての活動は脳から生じると宣言します。まず記憶の研究の歴史を振り返り、神経細胞について概説した後、短期記憶の分子機構が説明されます。第4章からは陳述記憶について認知科学的視点からの概説がされます。つづく第5章では、それを支える脳のシステムが解説されます。陳述記憶は非陳述記憶とは異なり、短期記憶から長期記憶へ変換される際に、シナプス結合の強度のみの問題ではなく、内側側頭葉が関係していることが重要であることが解説されます。さらに記憶が長期にわたり安定化する際には、海馬の役割は減り、新皮質領域間での接続が強化されることが必要ということです。この長期にわたる神経の変容は眠っている間におきているようだという点は興味深いことです。特に徐波睡眠中が失われる記憶を減少させるようです。人間で大脳皮質が発達することで長期の安定した記憶を形成することが可能になったことは、人間が特に他の哺乳類に比べて長命であることを考えるとき、記憶と寿命が相互にどう関係しているのか興味深いところでもあります。下巻ではエリック・R・カンデルの本領発揮という観で、記憶の分子生物学的機構がさまざまな実験結果を具体的に示しながら解説されます。第8章と第9章では、学習と記憶の広い範囲の非陳述記憶が説明され、それぞれの学習記憶は、別々の脳の部位が必要であること、例えばプライミングと知覚学習は、大脳皮質の感覚野が、情動記憶では扁桃体が、技能及び習慣学習には新線条体が必要とされることが示され、ます。こうした非陳述記憶は、内側側頭葉の関与を必要としない、つまり健忘症の人でもこうした課題をこなせるということを知ると、あらためて記憶という現象の奥深さを実感します。無意識という領域も生物学的な解明がなされつつあることを知ると、今後無意識や記憶などを語るときには、こうした基礎科学の成果を無視した議論をしても説得力に欠けるものになってしまうことでしょう。訳文はわかりやすく、カラー写真や図版が多数使われているのも理解を助けてくれます。今年のブルーバックスの大きな収穫です。

記憶のしくみ 上 (ブルーバックス)

記憶のしくみ 上 (ブルーバックス)

記憶のしくみ 下 (ブルーバックス)

記憶のしくみ 下 (ブルーバックス)