『自己が心にやってくる 意識ある脳の構築』(アントニオ・R・ダマシオ著、早川書房)を読む。
意識と肉体の関係は近代哲学の始まりから哲学の喉元に突き刺さった小骨でした。哲学を語り出すときに声を出すたびにこの小骨は痛みを生みます。それと一緒に問いも・・・「この痛みをどうやって私は意識するのか」と。本書はまぎれもない肉体の一部である脳がどうやって「心」を構築し、その「心」にどうやって意識が宿るのかを考察していきます。謎を解明する視点として、内省的な視点、行動科学的視点、脳機能的視点に加えて、第4の視点として進化生物学の視点を取り入れつつ、単細胞生物から多細胞生物、ニューロンという特殊な細胞の誕生を説明し、進化的に古い脳(脳幹)と新しい脳(大脳皮質)との関係から意識の発生を考えます。ニューロンのネットワーク内での活動で生成されるある種のパターンが心を生む。これは脳幹レベルで起こり、原初的な感覚で原自己の基盤となるというのです。この記述でわかるように、著者のいう「心」は通常私たちが指している心よりももっと広い意味です。原自己からは基本的な存在の感覚、原初的な感情が生まれます。継続的に生成される感情は身体状態のマッピングを生み、こうして生体は適切な行動プログラムにしたがって生き抜くことが可能になるというわけです。これは従来著者が指摘している情動の重要性です。原自己と中核自己が担う「物質的な自分」に加えて、大脳皮質が発達した生物には「伝記的な自己」が加わります。現在を生きるだけの自己に加えて、過去と未来に関わる自分が生成されます。人間はさらに高次な「社会的自己」を持っています。中核自己以上の段階に達して意識と呼べるものが生まれ、生命体自身とその環境についての情報を蓄積していくことが生存確率を高めてくれたことで、このプロセスは進化していきます。神経解剖学的に脳のどの部分がこうした役割を担っているかについては、さまざまな説があることが紹介されますが、このあたりは脳の神経解剖の知識がないと少々読み進めるのに苦労するでしょう。最終部では、意識的プロセスと無意識的プロセスのそれぞれの特性と関係が述べられます。無意識プロセスは行動の適切な実行に役立っていることは確かですが、意識的プロセスがそれをある意味調教していくことが必要だという指摘は、小児期における教育を考える点で面白いと思います。「直感」の重要性を説く類書も多いのですが、それはある程度の意識的修練を要求するというわけです。
「私」の謎をめぐって堂々巡りをしている哲学よりは自己の解明という点で将来性があります。本格派の脳科学書を読みたい方には十分手応えのある本だと思います。
【関連する本】『デカルトの誤り』(ちくま学芸文庫)『感じる脳』(ダイヤモンド社)『無意識の脳 自己意識の脳』(講談社)いずれも著者の手による本

自己が心にやってくる

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