『文明』(ニーアル・ファーガソン著、勁草書房)を読む。
15世紀まではユーラシア大陸の西の端に群居していた国々がその後世界を詩はするに至った理由は何かを六つの視点から考察する本。その六つの視点は、競争、科学、所有権、医学、消費、労働であり、この”キラーアプリケーション”を西洋諸国がもっていたからだと著者はいう。競争についていえば、政治体制は異なっても競争に熱心な企業が多く存在したことで、富が集まり技術が革新されていった点が、当時西洋よりも進んでいた中国を凌駕していった。そして自由闊達な競争(論争)が可能だった下地があればこそ科学が発達し、発達した科学がさらに競争を促すという良循環となったし、技術と労働力の集約的合理化が大量生産と大量消費を可能にし、資本が継続的に蓄積されていった。その過程で私的所有権を保証する法概念が政治体制の違いによらず共通したシステムとしてあったことがルールにしたがった競争を促した。医学が呪術的要素を振り落とし科学となることにより、感染症の蔓延する新世界への進出を可能にし、安価な労働力の再生産を確実なものにした。過去の成功をまとめながら著者は、台頭しつつある中国がどう世界に関わってくるかを懸念と期待が混ざった気持ちで見つめている。中国以外にもさまざまな不安材料はあるが、「本当の脅威は、(中略)私たちが先祖伝来の自らの文明に自信を失っていることなのではあるまいか」と述べている。西洋文明の勝因分析ということから、随所に出てくる負の遺産についての掘り下げ方がやや少ないのは気になる。というのは六つの勝因が未来において敗因になる要素も含んでいるから。
関連する本:『銃・病原菌・鉄』『文明崩壊』(いずれも草思社)『文明の衝突』(集英社

文明: 西洋が覇権をとれた6つの真因

文明: 西洋が覇権をとれた6つの真因

『〈性〉と日本語』(中村桃子著、NHKブックス)を読む。
ふだん何気なく使っている”女らしい”言葉遣いをすることは、「私が女性だから」ではなく、そうすることで社会の中で「女性としてふるまう」役割を引き受け、”女性らしさ”を再生産していることなのだということを身近な言葉遣いの例を示しながら論じている本。ジェンダーは、本質主義的ではなく構成主義的なものであり、言語というものを構成的な”資源”とみる立場から見ている。この視点に立つことで、言葉の乱れは正規の使用からの逸脱ではなく、創造的な行為である可能性が拓かれる。それを正当な言葉遣いからの逸脱とするメタ言説は、男性中心のイデオロギーからくるもので、女性は女性らしいことばを使うことが日本語の美的伝統であったかのような神話(=幻想)を形成・強化する。本書ではそうした事例が翻訳小説やスパムメール、マンガ、雑誌など至る所にあることを示している。この手の論は、男性の権力・支配を糾弾する攻撃的な論調にややもするとなりがちなのであるが、それをすべて悪として否定するのではなく、重要なのはそうした批判的視点を意識して言葉をつかうということだろう。豊富な用例をみていると、「男性」性自体も強固な一枚岩ではなくなりつつあることが、本書の例から伺うことができ、こうした変化がやがて男ことば、女ことばに変化をもたらすのではないかと思われ、これから男ことばがどう変化していくのかという興味が湧いた。
女ことばが歴史的にどう変遷し、周縁的な位置づけしか与えられていなかった女ことばが、日本語のよき伝統となるに至ったかについては同じ著者による『女ことばと日本語』に詳しい。
関連する本:『女ことばと日本語』(岩波新書

“性”と日本語―ことばがつくる女と男 (NHKブックス)

“性”と日本語―ことばがつくる女と男 (NHKブックス)