『落語の国の精神分析』(藤山直樹著、みすず書房)を読む。
「落語」と「精神分析」? 「能」と「精神分析」や「禅」と「精神分析」といういかにもな組み合わせの書名はあったけれど、こんな異色な組み合わせの書名は初めてだ。でも幼い頃から落語に親しんで現在も落語をする著者にとっては、まったく異色でも異質でもない。落語家と精神分析家はいずれも”特殊な”職業であり、その特殊性をまず著者は読者に説明する。どちらも年を取った方がうまそうにみえるという人を食ったような理由を最初に上げつつ、それはその職業を”生きる”ことが必要であるからだという。そして圧倒的にどちらも孤独であり、自己を分裂させる営為であるという。そうした孤独と分裂をかかえて落語はどのように語られるのかを、実際の根多を例にあげながら解説していく。取り上げられる題材としては死であり、夢であり、症例としての引きこもりであり、アルコール依存であり、乖離である。「落語とは人間の業の肯定である」という立川談志の名言に頷かされつつ、その中で生まれる笑いとはいったい何なのだろうと考える。巻末には著者が書こうとして書けなかった談志論の序説とでもいうべき論考が光る。落語にはあまり明るくないからどうかなと思いつつ手にした本だったが、知らなくても十分心を揺り動かされる本であることは間違いない。
関連する本:同じ著者による以下の本 『精神分析という営み』『集中講義 精神分析』(上・下)『精神分析という語らい』(いずれも岩崎学術出版社

落語の国の精神分析

落語の国の精神分析