『ずる 嘘とごまかしの行動経済学』(D.アリエリー著、早川書房)を読む。
人はどのような状況にあるときに嘘をついたりずるをしたりするのか? 従来の経済学が教えるように便益と損失をすばやく計算して利益があればずるをするのだろうか? このシンプルな合理的犯罪モデル(SMORC)は現実とは合わないことを著者は自らが行った実験によって示す。私たちの道徳感覚は、自分が違和感を覚えない「そこそこ正直な人間」という自己イメージを保てる水準までごまかしをする存在であるようだ。自分なりの規則でつじつまを合わせられるなら人はずるを許容するという性から、ずるをすることに対して金銭との直接性が薄くなればなるほど、自分が直接手を下すことから離れれば離れるほど罪悪感なくずるをすることが実験的に示される。著者の前作同様に巧みな実験によってそれを示すところが本書の醍醐味である。次いで利益相反についても自分の利益によって目がくらむことがある他に、身内の利益になる場合自分には利益がなくても(すなわち純粋に利他的な状況で)私たちはずるをしてしまう。私たちの誠実さを曇らせるのはそれだけではない。誘惑に抵抗するためにはそれなりのエネルギーがいるので、疲れているなど消耗しているときには誘惑に負けやすくなってしまう。さらに衝撃的だったのは、にせものをそれとわかって身につけていると不正をしやすくなるという実験結果と、創造性が高い人は、自分の利己的な利益を正当化する、もっともらしい物語を考え出せる、つまりずるをしやすいという実験結果だ。創造性を高めようと教育現場ではしきりに叫ばれるが、こうした負の側面もあるという指摘は興味深い。行動経済学的な実証実験のデータから不正を防止する手立てを考える場合には、こうした人間のもつ性質をちょっとうまく利用すると費用をかけずに有効な対策がうてる可能性を示唆している。表題に興味をもって読み始めた私は、いつ浮気のことがでてくるのかと思っていたが、これは定量的評価が困難なので対象外だという著者のコメントにおもわずですよねと相づちをうった。
関連する本:同じ著者による次の二冊はお薦め。『予想どおりに不合理』『不合理だからすべてがうまくいく』(いずれも早川書房

ずる―嘘とごまかしの行動経済学

ずる―嘘とごまかしの行動経済学

千駄木漱石』(森まゆみ著、筑摩書房)を読む。
英国留学から帰国した漱石明治36年3月3日に東京市本郷区駒込千駄木町57番地に越してから、家主の斉藤阿具が仙台から東京に戻ることになり明治39年の暮れに西片町10番地ろノ7号に転居するまでの日常をさまざまなエピソードとともに紹介していく本。千駄木在住中に漱石は、『吾輩は猫である』、『倫敦塔』、『坊っちゃん』、『草枕』、『二百十日』を世に出している。学生に教えるのは好きだけど、講義や試験は大嫌い、家族には癇癪を起こすが、弟子たちにはことのほか優しい、権威が嫌いで「世間」と戦い続ける漱石先生は、いろいろな人が事細かに書いているがやはりまた読んでも面白い。夏目家に入った泥棒や『猫』に出てくる落雲館中学こと郁文館中学のこと、近所にあった豚を飼っていた搾乳所のことなどなど。本書の巻末には、千駄木での生活年表と、千駄木周辺と旧駒込村周辺に住んだ人々の一覧が付いている。できれば当時の地図にマッピングされているとさらに想像をかき立てられるのではないかと地理音痴な私は感じた。

千駄木の漱石

千駄木の漱石