『身体の時間』(野間俊一著、筑摩選書)を読む。
「今」を生きるということを論理的や物理的にではなく、「身体」が今を生きているという観点から考察していく本。著者は精神科医という立場からこの「今を生きる」ということをPTSD解離性同一性障害というレンズを通して考察する。著者は自己という存在には人格的自己、主体的自己、生命的自己の3つがあるとし、生命的自己と主体的自己が邂逅する瞬間の経験に注目する。「生命的自己の衝動と主体的自己のためらい。受動と能動。生と意志。これらの二項のせめぎ合い反転する「瞬間」という事象が展開されるのは、ほかならぬ身体という場である」として、主体の能動性をその瞬間における一種の「賭け」とし、その不能がフラッシュバックの病根ではないかと推察している。続いてうつ病解離性障害境界例などの病像が時代とともにどのように変化してきたかを通覧し、木村敏の祝祭論を援用しつつ現代のこれらの病態にあるコントラフェストゥム性を指摘する。コントラフェストゥム性が際立つ現代では、「完了性ー現在性ー未知性」という時間をつなぐ現在性の力が弱まっており、「自分がここに存在し、まさに身体を生きている実感をもつことが難しい」のだ。著者が指摘するように自己の身体と他者の身体との間に生まれる共存感覚がやせ細ってしまったことが現代の精神疾患の根底にあるのだろうか。これに対する具体的な処方箋はまだないが、本書は身体性のない情報だけが溢れそれに翻弄される現代への警鐘である。
関連する本:『時間と自己』(中公新書)、『自己・あいだ・時間』(ちくま学芸文庫

身体の時間―“今”を生きるための精神病理学 (筑摩選書)

身体の時間―“今”を生きるための精神病理学 (筑摩選書)