『効率と公平を問う』(小塩隆士著、日本評論社)を読む。
とかく効率性ばかりを論っているように思われる経済学のもう一つの重要な柱である公平性とは何か、そして今の日本ではどのようなところに不平等があり、それをどう是正していくべきかを論じた本。経済学でいう社会全体の幸せ、つまり社会的厚生には、ベンサム型のものとロールズ型のものがあることを示しながら、それとは違う公平性の概念があることを著者は指摘する。公平性の評価は個々人が置かれた社会経済環境やそれに対する主観的評価によって左右される面がある。とくに所得や生活水準が低下し、さらに悪くなりそうだという場合ほど私たちはリスク回避的になるとともに格差を現実以上に問題視する傾向があるという。日本全体が沈滞している現状ではこうした認識は根強く残るから政治もそれを無視するわけにはいかないわけだ。では富の再分配をどうすればいいかということについて著者は、現在の税制がうまく機能しておらず、若年層から高齢者層への年齢層間での所得移転においてその恩恵を受けない貧困層がいること、子供の貧困という問題が解決されていないことを指摘する。所得再分配をより効果的なものとするためには低所得層で目立つ社会保険負担の逆進性を正すことが、消費税の逆進性問題よりも実は重要であることを説明している。興味深かったのは教育の効率性と公平性を論じた第4章だった。学校がほんとうに入学してくる子供に付加価値を与えているのかという視点で教育の質は評価されなければならないとし、苦心して収集した膨大なデータの解析結果を示しながら、実は教育はかなりの程度家庭環境によって左右されることを示している。インターネット環境があるかどうかより、蔵書の数や辞書の有無の方が重要などというデータも面白い(蔵書の種類までは掘り下げてはいないけど)。将来質のいい大学教育を受けることができるかどうかは、中学入学時点でかなり予想できるというのはかなり衝撃的だ。この国は、スタート時点でかなり将来が予測でき、いったん道からそれると復活が厳しい社会ということだ。右肩上がりの経済成長が続いていた時代はそれなりに格差がなかったのだろうが、成長が期待できない時代は格差は手を拱いていると広がるばかりとなる。この厳しい現実は義務教育が終わる前にしっかりと子供たちにも認識させておく必要があるのではないだろうか。日本の社会をこれから担う世代なのだから。

効率と公平を問う

効率と公平を問う