『罪悪』(フェルディナント・フォン・シーラッハ著、東京創元社)を読む。
前に読んだ『犯罪』の奇妙な読後感が忘れられず、読んでみた。刑事弁護士である著者の筆致は相変わらず淡々と罪に落ちた人とその状況を語る。法が人を裁くことで事件は一応の決着がつくのだが、その割り切れない「剰余」がそれぞれの短篇を読むごとに積みかさなっていく。そこには解決という明るさはなく、どこに出口があるのか考えさせられる暗さが残る。殺人を裁く法はひとつでも、裁かれる罪は千差万別であることをこの短編集を読むことであらためて思い知らされる。新聞の三面記事に載る(日常となってしまった)殺人事件も無期懲役や死刑ですべて決着がつくようなものではないのだろう。法によって守られているこの日常とは何か、裁判員裁判も浸透してきた日本でみんながいちどは考えてみるべきことではないだろうか。

罪悪

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