ラピスラズリ』(山尾悠子著、ちくま文庫)を読む。
画廊で目にした三枚組の銅版画から物語は始まる。一枚目は、晩秋の木立で荷車に積み上げられた十数人の男女の死体を落ち葉の吹きだまりに投げ捨てる版画。二枚目は真冬の寝室の様子を描いた版画。三枚目は緑で彩色された幾何学庭園で老人と若者が向き合っている版画。画題は、〈使用人の反乱〉、〈冬寝室〉、〈人形狂いの奥方への使い〉。これに続く『閑日』と『竈の秋』はその銅版画にまつわる物語となっている。冬の間冬眠する少女、冬の館で働く使用人たちの不思議な物語は、雪もよいの曇天が続く冬の読書にふさわしい。この物語を読みつつ、いつしか夢に落ち、ふと猫に嘗められて目が覚めて、また読み続ける。幻想迷路を彷徨い続ける快感がここにある。
 『トビアス』は祖母の葬儀と飼い犬トビアスの死を「わたし」が回想する物語。ここにも冬の眠りがある。最後の苺ジャムを食べる描写は印象深い。最後の物語『青金石』は、聖フランチェスコと彼を訪ねてきた若者との対話の一こまを描いた物語。物語の最後に添えられるラピスラズリの鮮やかな青によってこれら一連の物語が春への目覚めへと移る。

ラピスラズリ (ちくま文庫)

ラピスラズリ (ちくま文庫)

『不自由な経済』(松井彰彦著、日本経済新聞社)を読む。
自由競争の場である市場の経済規範をゲーム理論を用いて読み解いていく本で、日経新聞での連載記事がもとになっている。ここで活動する人間は新古典主義経済で前提となっている客観的な世界のあり方を知悉している人間ではなく、経験に基づいて自分の世界像を作り上げていく人間である。昨今市場が格差を生む諸悪の根源のように批判する向きもあるが、著者は、市場は決して格差を生む源泉ではなく、逆に格差を縮める力を持っており、見知らぬ人同士を結びつける場であると主張する。例としてあげられている障害者欠格事項の規制に対して「市場の原則を無視した介入は、どんなに善意に満ちていたとしても初期の目的の達成どころか、正反対の効果をもたらすことがある」という著者の言葉が印象的だ。また障害者がレスラーとなって興行する団体の例は、「福祉=善」という発想からは出てこない面白い視点である。
市場原理主義が公共心を一掃してしまったという批判があるが、公共心が低下し、不正な公共サービスの利用が広まると、政府による規制が強化され、逆に市場が機能しなくなることこそが問題」なのだろう。公共心を涵養しつつ市場を制御していくことこそが今以上に必要な時代はないのかもしれない。
不自由な経済

不自由な経済