『メモリー・ウォール』(アンソニー・ドーア著、新潮社)を読む。
新潮クレスト・ブックスシリーズから出ている短編小説集。同シリーズにはすでに著者の『シェル・コレクター』が収められている。この本も気にしつつも未読でいた。表題は、冒頭に収められている小説で、認知症を患った未亡人が遠隔記憶刺激装置で治療を受けるという近未来の設定である。彼女の記憶が収められた記憶カートリッジを盗み読みして彼の亡夫が発見した稀少な化石標本を探し出そうとする二人組、彼女の身の回りの世話をする召使いが絡みながら物語は進む。著者は、失われていく個人の記憶を主題にして遠い過去に絶滅した古生物という材料をうまく織り込みながら印象深い物語に仕立てている。たとえば、亡夫のハロルドはこう語る。

「いつまでも残るものはなにもない」とハロルドはよく言った。「化石が生じるのは奇跡なんだ。五千万分の一さ。残りのわれわれはどうなるかって? 草に、甲虫に、ウジに消える。光の帯に消える」
 とても珍しいことなんだ、とルヴォは考える。保存されるのは、消されず、壊されず、別のものに変わらないのは、まれなことなんだ。

巻末の解説によると著者は、『ボストン・グローブ』紙に科学書についてのコラムを連載しているとのことで、小説の随所に自然科学的素材をちりばめている。それが目立ちすぎることなく、主題をうまくひきたたせる手腕は見事だ。表題作の他、『生殖せよ、発生せよ』、『非武装地帯』、『一一三号村』、『ネムナス川』、『来世』を収める。

メモリー・ウォール (新潮クレスト・ブックス)

メモリー・ウォール (新潮クレスト・ブックス)