デスマスク』(岡田温司著、岩波新書)を読む。
死顔を残すという行為がいつの頃からどんな目的でされてきたのかを西洋美術の作品を取り上げながら考察していく本。まず古代ローマでは先祖の肖像は「イマギネス」と呼ばれて、葬儀や葬列などに使われ、そればかりか玄関広間に飾られていたこと、こうしたことができる権利「イマギネス権」というものがあったことが紹介される。個人を特定できるほどの精密さからデスマスクのようなものが利用されていたと著者は推測しているが、いずれにせよ古代ローマでは名誉や栄光を顕示するきわめて実用的な価値があったようだ。したがって一旦不名誉なことが起きると断罪の対象にもなるわけで、そこに「聖なるもの」と「呪われたもの」が表裏一体となっている二重性が指摘される。続いてイギリスやフランスの王の死に際して使われた胸像が、古代ローマの伝統を引き継ぎながらも肉体を超えて存在し続ける永遠の肉体の象徴としての意味が付与されているという(カントローヴィッチ)が、ここでも著者はアガンベンにならい聖性と呪詛の二重性を見ている。王に対して教皇は、あくまで玉座に一時的に就く存在であるためか、デスマスクがとられ人形が作成されて「二つの身体」が演出されたという記録はないということだ。このあたりの対比が興味深い。次にルネサンス期においてデスマスクが流行し作られた胸像が教会に奉納される慣習があったという。時代が下って18世紀になると宗教性は薄れ、デスマスクのモデルは英雄や芸術家になる。天才的な才能の顕れをその表情に見いだそうという一種のフェティシズムである。しかし同時に19世紀にかけて観相学や骨相学の影響を受けて、デスマスクにその人の能力や性格、遺伝性、犯罪性を読み取るようになってくる。これは一種のデータベースとしてのデスマスクだろう。
新書の限られた紙数で豊富な例が紹介されており、楽しめる。聖なるものと呪われたものの対照で読み解くモチーフであるが、むしろ非言語的情報記録媒体としてのデスマスクとして見た方がおもしろいのではないかと感じた。

デスマスク (岩波新書)

デスマスク (岩波新書)