『建築のエロティシズム』(田中純著、平凡社新書)を読む。
「建築を成り立たせているものは、物体であり空間であると同時に論理である。そして性欲ではなくエロティシズムを生み出すのは、論理以外の何ものでもない。だから、建築のエロティシズムはその論理にこそ宿る」冒頭にこう語ることで、著者は読者を世紀末のウィーンへの旅に誘う。その主人公は建築家アドルフ・ロース。そして彼は「建築家は最大の犯罪者だ」として建築における「装飾」を指弾した。しかし「ダンディ」な衣裳に身を包むその建築家に、建築の「法」の言葉を吐かせた超自我には、享楽する猥雑なエスと交通していたと著者は指摘する。装飾というフェティシズムを批判しながら、実は建築物の皮膚である「プレーンな表面をフェティッシュとするいっそう洗練されたフェティシズムの宣言」を彼は表明したという著者の指摘は、それに続く彼の建築の内部空間に誘われるときにさらに説得力をもつ。後半はロースの精神的系譜に属する画家オスカー・ココシュカと哲学者ルードヴィッヒ・ウィトゲンシュタインの特異なエロティシズムが語られる。
フロイトが生きた世紀末ウィーンというこの舞台における建築の話題であるためか、本書に登場するのはほとんどが男性だが、皮膚と装飾という話題だけに、女性を主に取り上げた世紀末の続編を期待したい。