『ウェットウェア』(デニス・ブレイ著、早川書房)を読む。
私たちを含む多細胞生物を構築するひとつの細胞は、様々な蛋白質がぎっしり詰まった論理回路であり、それ自体きわめて精妙な装置(著者のいうウェットウェア)であることを語る本。生細胞内で大量の情報を扱う分子プロセスをウェットウェアと定義している。蛋白質を中心とする分子群は小型スイッチとして細胞の生化学プロセスをある芳香へ誘導する。この内部ネットワークからの出力は、アメーバの補食や逃避運動として観察され、しばしば私たちはそこにあたかも意識があるかのような印象をもつ。蛋白質の立体構造の変化による酵素活性の変化や受容体とそのリガンドによる情報伝達のことを解説し、これらの相互作用する分子群を「ワイヤなき配線」に喩え、「細胞内で伝達されるシグナルというのは、特定の部位で特定の分子が示す数の変化」だから「生化学的回路」という言い方もやや不適切だと著者は指摘する。ひしめきあう分子群の配列はすべての細胞で一定ではないから、細胞内での配置に多様性が生まれそれが単細胞であっても個性を生む。遺伝的に同一であっても反応に多様性が生まれるというわけだ。後半ではこうした細胞どうしが結びついたり連絡しあう例として神経細胞網や細菌のクオラムセンシングの話が取り上げられる。
生命の情報はコンピュータの素子のような固定した基盤の上を流れていくのではなく、常に動的平衡を保ちつつ変化している分子群の中を流れていく。こうした中で私という意識が保持されているというのも不思議な感じだ。
多少訳語に違和感を感じるところはあったが、平易に書かれている。

ウェットウェア: 単細胞は生きたコンピューターである

ウェットウェア: 単細胞は生きたコンピューターである