ミシェル・フーコー』(重田園江著、ちくま新書)を読む。
『監獄の誕生』を取り上げて、フーコーの思考スタイルをみていく入門書。著者が最初に釘をさしているように「近代の規律について解説した本」ではない。著者の解説を聞きながらフーコーの作品を鑑賞するように読み進めていくけれど、一筋縄にはいかない。ただ近代になって形成された規律型の権力というものが、倫理や精神からではなく、対象を「知る」欲望から出発し、それが及ぶ対象の間に浸透していくと対象の間で相互作用しながらあるパターンを形成していくこと、その場所の一つに監獄があるということがなんとなく見えてくる。こうした規律権力とは「つまらない工夫が積み重なってテクニックとして精緻化されたもの」であり、生権力とは「人間の生の営みへと介入する権力」であり、主権権力とは区別して考えることが重要だと著者は述べる。さらに権力と政治を考える場合に、非常事態や例外状態から考えるのは方向として正しくないと述べている。この点は最近の日本がおかれている状況を考えると興味深いところだ。最後のところではフーコーが当事者(この場合は受刑者やその家族)たちの声を大切にし、「自分が運動の代表者であるかのごとくふるまい、叡智に満ちた言葉で語る「人権派の」知識人と一線を画す」ようにしていたことが紹介される。単純で表面的な熱血は空虚であることを誰よりも熟知していた知識人だったようだ。通読してみて、著者には語りたいことがいっぱいありすぎて、新書の分量では語り足りなかったのではと思う。

ミシェル・フーコー: 近代を裏から読む (ちくま新書)

ミシェル・フーコー: 近代を裏から読む (ちくま新書)