『ぼくらはそれでも肉を食う』(ハロルド・ハーツォグ著、柏書房)を読む。
動物と人間の倫理的関係はどうあり、どうあるべきなんだろうかということについて考察した本。動物には人間とは基本的な違いはないとして動物にも権利を認めようと論じる本もあるが、そうした主張は自らの一貫性を堅持するあまり、普通の私たちの感性とはずれたものになることが多い。そして私はそうした違和感を感じさせる倫理学というのはどこかおかしいものだと思う。本書の特徴は著者がそうした違和感を抑圧しておらず素直にその矛盾を認めていることにある。

人間の思考はほとんどあらゆるものごとについて、驚くほど不合理にはたらくことが明らかになっている。とくに他の生物種について考えるとき、水は不透明になる。本能はわたしたちを大きな目をした温和な生きものに惚れ込ませようと誘惑する。遺伝子と経験は結託して、どの動物を畏れ、どの動物を恐れなくていいのか、労せず区別できるようにしてくれる。わたしたちが築いてきた文化は、どの生物種を愛し、嫌い、食べるべきかを教えてくれる。そこにあるのは、理性と感情の葛藤、直観と共感への依存、それに自分の思考や欲望を他の頭の中に投影したがる傾向だ。

動物の権利論については、義務論的立場と功利論的立場があるがいずれにしても首尾一貫させれば、肉食や狩猟、動物園での監禁、動物実験は不道徳となる(しかしその不道徳な動物実験結果が動物愛護者は自説の主張の根拠として引用されるという驚くべき矛盾も本書で紹介されている)。それは結局突き詰めると過激な宗教的原理主義と似てくる。著者は最後に率直に動物と人間の相互関係について研究すればするほど確信が持てないことを告白する。結局は私たちはみんな偽善者なのだろうと・・・。身も蓋もないといってしまえばそれまでだが、この矛盾を素直に受け止めつつ省察を重ねていくのが自分と違う種を愛する能力を獲得してしまった人間の宿命なのであろう。

ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係

ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係