『犯罪』(フェルディナント・フォン・シーラッハ著、東京創元社)を読む。
ベルリンで刑事事件弁護士としても活動しているという作家の犯罪にまつわる短編集。11の物語が収められているが、トリックや推理が主題ではない。犯罪を犯した人間が主題であるが、著者はことさら犯人の深層心理を分析するようなやり方はせず、淡々と事実を報告する。残酷な猟奇的な殺人事件だとその道の専門家がメディアに出てきては、したり顔で犯人像を分析してみせるのがこの国の風景であり、それをみんなで分かったつもりになることが求められるが、この虚構の物語を読むと、そうした理解が実は虚構であることにあらためて気づく。おぞましく描写しようと思えばいくらでもできそうな題材を前にして著者の一見突き放したような視線は、しかし実際に犯罪と向き合ってきた人間として事実に対する厳しさと謙虚さゆえだろうと思われる。最後の物語からそれが伺われるところを引用する。

もちろん、被告人の証言に信憑性があるかどうかなど、この際関係がない。裁判を左右するのは証拠だ。被告人は無罪であるかどうか、自白が正しいかどうか、なにひとつ証明する必要がないという点で有利だ。しかし検察と裁判所には別のルールがある。証明できないことを主張することは許されないのだ。簡単に聞こえるが、事実はそう簡単ではない。憶測と証拠を常に峻別できるほど人間は客観的ではないからだ。私たちはまちがいないと思い込み、道を誤る。しかし、やり直すのは容易いことではない。

わくわくするような小説ではないことはこの一文からも分かると思うが、私はこういう静謐さが好きだ。

犯罪

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