ギリシアヘブライの倫理思想』(関根清三著、東京大学出版会)を読む。
西洋の倫理思想の淵源である古代ギリシアヘブライに遡り、それぞれの特徴を明らかにしつつ、両者に共通する点を考察していく書。著者は両者に共通するものとして、「我々が我々を超えたものによて生かされてあるという根源的事実に立ち帰り、そのことに対する驚きの感覚」を指摘する。ギリシア哲学の代表として論じられるのはもっぱらアリストテレスの『ニコマコス倫理学』。アリストテレスは、人間の超事物性をヌースとよぶ(ヌースは理性と訳されるが、より広い意味をもつ)。このヌースが十全にある状態が最高な善であり、正義や愛による倫理的な徳は、それにつぐものという位置づけである。理性を中心におくアリストテレスの倫理は、これを十全にもたない大衆はどうしても周縁的な存在でしかない。これに対して愚民を掬い取る倫理としてヘブライ的倫理が考察されていく。ここでもその根底には「驚き」が根底にあり、その驚きの対象は神なのだが、善人が苦難を受けるという神の応報の破れをどう理解すればよいかを『ヨブ記』、『コーヘレス書』を通して論じられる。そこから著者は、ヘブライの倫理思想は、「直接的な倫理的応報の神は存在しないが、代理贖罪という間接的な形で応報を貫徹する神が存在する」という思想にたどり着いたとする。理性を重視する哲学と愛を重視する宗教の息苦しいせめぎ合いがあると感じたが、さまざまな宗教対立や非寛容な争いが沸騰している現代においてもう一度冷静に考え直すべき課題だと感じた。自己の悟りや救いを求めつつ、それを超えた他力的宗教の地平が開かれる地点というのは、語ることができず、沈黙しつつ示すしかない地点なのかもしれない。

ギリシア・ヘブライの倫理思想

ギリシア・ヘブライの倫理思想