『絶叫委員会』(穂村弘著、筑摩書房)を読む。
言葉にはそれを使う人のそれぞれの記憶があり、世界がある。その世界がそれぞれ一致している保証はもとよりない。私たちは自分の言葉の世界が相手と同じものだと疑うことなく、日々言葉を使って暮らしているが、実はそこには深い断絶があったりする。それがふとした日常の何気ない会話の中で露出するとき、著者は「絶叫」する。言葉に対する類い稀な感性を持つ著者のそんな日々の「絶叫」の標本集が本書である。
 例えば著者は、友達と温泉旅行に行ったときの男友達が自分の妻にみんなの前で投げかける「今日もきれいだよ」というど真ん中の直球にうなり、またある時は「日本最大級」や「手打ち風」といった言い回しに最近の個人の権利意識や消費者意識のぎすぎすした感じを鋭く感じ取る。

確かに、インターネットのブログや掲示板には、知り合い同士の相互贈与的な行為のやり取りがある一方で、第三者に対しての厳しい駄目出しが目立つ。みんな他人のやることが気に入らないんだなあ、と思う。
 そんな感覚が浸透するにつれて、自らの身を守る必要性が高まってゆき、発現や広告のなかに「級」や「風」や「的」が鏤められるようになったのだろう。

 しかし上のようなつぶやきより、本書は最初から最後まで思わず笑ってしまう言葉の世界が綴られており、笑いながらあっというまに読了してしまう。でも読み終わると著者が感じ取った「リアリティの破れ目」というものすごさを改めて考えてしまうエッセイである。

絶叫委員会

絶叫委員会