『枝分かれ』(フィリップ・ボール著、早川書房)を読む。
「自然が創り出す美しいパターン」シリーズの最終巻。ここはエピローグから著者の言葉をまず引用する。

一握りのなんでもないプロセスをエレガントにかう微妙に変化させたり組み合わせたり修正したりしたものを無数に使って、自らのタペストリーを織り上げているこの世界。そこには、細部など無意味なものとして切り捨て、数個の難解な方程式ですべてが説明できることになっている世界よりも、ずっと多くの驚きがあるのではないだろうか。自然界に無数にあるパターンで私が驚かされるのは、パターンの中心をなすいくつかの基本的プロセスで説明できることばかりでなく、細部のわずかな変化、特定の初期条件や境界条件のほんの少しの変化であの見事なまでの多彩さが生まれることだ。

そうまさに「神は細部に宿り給う」。本書の最初の部分では雪の結晶の成長パターンが取り上げられ、中谷宇吉郎の業績も紹介される。この結晶の成長パターンが枯草菌の成長パターンや都市の拡張パターンにも関連する点があることに思わず息をのみ、アイルランドジャイアント・コーズウェイなどの奇観やひびわれの成長の神秘にかかわる偶然と必然のダンスに驚く。こうした数々の驚異に潜む自然の力のせめぎ合う境界にこそ新たな創造の種があることを知るとき、私たちの知性についても同じことが言えるのではないかと思ってしまう。ある思考やアイデアが壁にぶつかるとき、そこでのせめぎ合いにこそ創造の源があるのではないかと。
最後に著者は、複雑系の視点から生命とは「平衡からはずれたところに秩序をもたらす、抗しがたい流れの産物」ではないかと述べ、生命の誕生が奇跡的な偶然であるという見解に疑問を呈している。

枝分かれ―自然が創り出す美しいパターン

枝分かれ―自然が創り出す美しいパターン