コラテラル・ダメージ』(ジグムント・バウマン著、青土社)を読む。
『リキッド・モダニティ』、『近代とホロコースト』などの著書で知られる社会学者バウマンが2010年から2011年にかけて行った講演を元にして書いた文章を集めた本。著者は液状化というキーワードで不安定化する社会とその問題点を指摘しているが、今回表題の軍事用語−意図しない、計画されていない、そしていわば謝って予期せぬ被害を与えてしまう特定の軍事行動がもたらす破壊的な効果−を用いて、現代社会の不平等に警鐘を鳴らしている(”予期しない被害”というよりはもともと計算にいれらてもいない人々がいるということが問題だということだろう)。
 消費社会と道徳の関係を論じた章では、市場での消費が他者への関心や同情、善意、友情などの物質的な象徴としての役目を果たす機能があること、個人が社会の中でアイデンティティを保ち、必要ならば変化させ常に「誰かであり続ける」ためには消費市場が必要であることを指摘し、したがって消費は消費水準を上げ続けねばならなくなっており、ひいては人類の生存を脅かすような状態になりつつあると論じている。道徳的衝動の脱商品化を図ることが必要だというのはおもしろい視点に立った論考だ。個人個人がよいと考えている行動が社会全体としてみると必ずしも適切な効果を生み出さないこと、そしてそこから生まれる破壊的な効果を被るのはいつも社会の周縁に位置する弱者である。プライバシーと社会的絆を論じた章では、インターネット社会においてあまりにも簡単につながりができる一方でそれはあまりにも解消されやすい関係であること、プライバシーの危機が人間同士の絆の崩壊と結びついていることを指摘している。フェイスブックなどの”コミュニティ”は真のコミュニティなのか考えさせられるところが大きい。「悪の自然誌」と題された章では、ギュンター・アンデルスを引用しながら人間の技術(創造力)と道徳的創造力の乖離から生まれる悪について考察している。本書で興味のある論点をみつけて、それから著者の関連ある著作に進むのにいいかもしれない。