『利他学』(小田亮著、新潮選書)を読む。
直接的には自分の利益にならない行動をなぜ行うのかということ進化生物学の視点から考察する本。自分の適応度を下げる利他行動の受け手が血縁者である場合は、その行動が進化する可能性があるというハミルトンの法則が解説され、続いて非血縁間の利他行動(互恵的利他行動)が進化するためのしくみを考えていく。利他性を試す実験から自分の内面を意識する程度が利他性と相関があり、自分を意識させるような実験条件(目の絵や鏡)では利他性がより発揮されるようだということが紹介される。分配実験では男性の場合、異性がいるとより利他的になるという事実は、こうした行動も性淘汰の影響を受けていることを示唆している。こうした利他行動が裏切り行為やただ乗りによって廃れてしまわず集団中で維持されるのは、私たちに利他的な人を無意識のうちに検知する能力と、過去の利他行為を記憶する能力がそなわっているとともに、裏切り行為を探知してそれを罰するようにしているからだという。ここで利他主義者に報酬を与えるより、裏切り者を罰するほうがよりコストが少ないので制度としてより進化しやすいだろうという指摘は面白い。さらに私たちが感じる同情や義憤という道徳的感情も互恵的利他行動への適応として進化してきたらしい。情状酌量の余地があるかどうかの判断は司法の場でも重要だが、裁判員制度を論じる上でもこうした私たちの進化生物学的特性を弁えておくことは大事だろう。
利他性の高い相手を見抜くために私たち脳は相手が発する信号を自動的に解釈しているらしい。特に無意識にでる微笑みという信頼性の高い信号を私たちはすぐに見抜けるというのは実生活でも腑に落ちる。多分女性の方がその能力に長けているのではと思う。続いて人間の知性の進化、とくに言語を通じて相手を操作する能力が飛躍的に進んだことで、集団の中で一定の割合で利他主義者の擬態者の存在を許している反面、評判を広く伝えることができるため、そうした詐欺師が増えるのを抑制しているのだろうという。
後半は人間の利他性の起源をチンパンジーでの実験と比較しながら、人のおせっかいはチンパンジーには見られないことを指摘する。この性質はより遠縁のコモンマーモセットにもみられることから、その性質は独立して進化したらしい。どうやら私たちの祖先がおかれた環境が大きく影響しているようだ。
最後に著者は、私たちが狩猟生活で進化させてきた利他性を大きく異なる現代の環境にうまく活かすことが制度設計上避けて通れない重要なことだと強調する。未曾有の大災害に見舞われた今、この指摘はたいへん大切なことだと感じた。

利他学 (新潮選書)

利他学 (新潮選書)