『「ゆとり」と生命をめぐって』(鈴木晃仁編、慶應義塾大学出版会)を読む。
理系と文系をつなぐ「生命の教養学」のシリーズの一冊。「ゆとり」という実感としてはよくわかっているが、いざそれは何かといわれると答えに窮してしまう言葉をめぐって進化学、生物学、行動学、工学などさまざまな分野からの話題が盛り込まれている。
 その中で面白かったのは二つの話題。一つ目は長谷川眞理子教授による進化における「ゆとり」の意味。道具の製作というホモ・サピエンスの傑出した能力が、集団の中に道具を作るだけの「ゆとり」を持つ個を生み出せたことと関係しているのではないかという考察。後半は理解にコントロール型とネットワーク型の2種類があるという話題。興味深いがいずれも本書では着想を示したというところに留まる。二つ目は西成活裕教授の「渋滞学」からの「ゆとり」の考察。さすがに工学分野だけに、まず「渋滞」を定義づけるところから論を進めて、そこから「ゆとり」の意義を強調している。後半は無駄とゆとりについての講義で、「無駄」を「ある目的をある期間で達成しようとするとき、最適な、もしくは予想以上のインプットとアウトプットの差益より、実際の益が低くなってしまう要因すべてのこと」と定義し、そこから「ゆとり」の領域を画定している。本書の中では一番読み応えがあり、腑に落ちた講義だった。