『人類はどこから来て、どこへ行くのか』(エドワード・O・ウィルソン著、化学同人)を読む。
アリの生物学の泰斗である著者が、生物進化の観点から他の生物にはみられない文明をどうして人間が築けたのかを考察する本です。『社会生物学』で当時の人文学にも大きな衝撃を与えた著者は冒頭でこの問題の解決は、宗教や哲学には期待できないことを宣言します。(この歴史については、『社会生物学論争史』(みすず書房)や『社会生物学の勝利』(新曜社)に詳しく書かれています)そしてヒトの特徴はその高度な社会性にあるとし、進化の道筋でもう一方の頂点にたつ真性社会性昆虫の進化からその謎に迫ろうとします。社会が作られる前に、その前段階として生まれた生物が単独ばらばらとなり離散していかないような性質が生まれ、集まって棲まうことが必要であったと考え、そこから利他性や分業が進化したと述べていて、ここは興味深い視点です。そこから問題の利他性の進化の議論になるのですが、著者が本書でハミルトンにより提唱された血縁淘汰を否定していることから物議をかもし、ドーキンスは”投げ捨てるべき本”とまで言っています。問題の箇所については、著者は端的に誤りだと切り捨てており詳細な議論には立ち入ってはいません。一般読者向けなのでこのあたりはもう少し詳しい説明がほしいところですが、そこは巻末の解説を読むことである程度分かります。血縁淘汰が特殊名条件でしか当てはまらないものなのか、包括的な一般理論なのかということについてニュートン物理学と一般相対性理論での比喩を用いて分かりやすく解説されています。もう少し詳しい説明のためには『生き物の進化ゲーム』(共立出版)の第5章が役に立ちます。ここを読むとハミルトン則で利他性は十分説明できそうです。この血縁淘汰からもう一歩踏み出して見ず知らずの他人にも利他行動をできるようになったのかというのが大きな謎です。どうして私たちは善きサマリア人になれたのか、ゴーギャンが絵の片隅に記した「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」という言葉が永遠の問いとして読後に残ります。