『隠れた脳』(S.ヴェダンタム著、インターシフト)を読む。
私たちの脳には、物事をヒューリスティックに処理する脳と理性的に処理する脳があり、前者によってうまく行く場合もあるもののときにはとても不合理なことが起きる場合があることをさまざまな例を示しながら解説した本。前者の脳を著者は”隠れた脳”と名付けている。さまざまな例ということで、身に危険が及んだときのとっさの記憶、対人コミュニケーションのときの無意識な行動、倫理的ふるまいや道徳には進化の過程で身についているものがあり私たちは瞬時にそれを判断していること、異人種や異なる性別の人間に対しての無意識なふるまいを自然としていること、突発的な災害時に知らずに集団として同調する行動をとってしまうこと、頻度の低いリスクや実体験とはかけはなれた大きな数字を取り扱うことが苦手なこと、道徳的行為ではどうしても疎遠な大勢の人よりも身近で少数の人に対して手を伸ばしてしまうことなどが書かれている。こうした指摘は類書でも指摘されているところであるが、著者はジャーナリストの経歴があることから、その筆致には臨場感があり読者を退屈させない。翻訳では米国の事情に通じていないとよく分からない2章分が割愛されているということだが、きっと同国人であればより切実な読書体験を得ることだろう。面白かったのは性別に対する偏見があることをトランスジェンダーの男女の実体験を紹介しながら報告しているところであり、これはさすがにまだ日本ではあまり見られないところだ。手段バイアスの章では、テロリストや宗教的カルトの心理を”トンネル効果”として解説しているが、日本で起きたカルト事件をこうした視点から読み解いた本はあるのだろうか。そうしたさまざまな進化的バイアスを背負っているものの、理性こそがバイアスを防ぐ唯一の手段であり、「私たちにとっての灯台でありライフジャケットなのだ」としている点が印象的だった。

隠れた脳

隠れた脳